情報リテラシーは「わくわくリテラシー」だ!

このエントリーは、「「子供/保護者/学校」×「情報リテラシー」 Advent Calendar 2017」の12/15分です。


はるかうん十年前、私は「映像、特に子ども向けの番組」に興味を持っていて、放送・視聴覚教育を専門としているMゼミに入ることになりました。大学院(修士)を含む4年間は、小学校の授業の中で、教科書、黒板、OHP(透明なシートに文字や絵をかき、下から光で拡大投影するもの)など既存のメディアの中に、放送・視聴覚をどのように位置づけるか、ということを、さまざまな学校、学年、教科で取り組んできました。

修士論文のフィールドとなった小学校は金沢市内にあり、小学校の授業と自分の授業のために一日に「大阪ー金沢」を2往復したり、当時の教授の自宅が金沢にあったので泊めていただいたり、当時の院生さんとちょっと急いで北陸自動車道を走っていたら、尼御前のSAの手前で…………(以下自粛)

M先生から一貫して指導していただいたことの1つは「文字と映像との違い、映像ならではということは何なのか、ということを考えること」でした。リテラシーとはそもそも文字の読み書き能力のことであり、これを映像に置き換えただけではない、なにか新しいリテラシーというのがあるにちがいない、そんなことを「わくわく」思いながら、卒業論文、修士論文を書いたことを覚えています。それが今でいう「メディア・リテラシー」なのでしょう。

当時はなかなか難しかった「映像での情報発信」「今と昔の映像の比較」「いろいろな国やいろいろな文化の映像の比較」なども、今となっては比較的簡便にできるようになり、もやもやと考えていたことがやっぱりそうだったか!と思うこともあり、そうでなかったこともあり………

↑こちらは13年前!に書いた、高校「情報」の副読本(実教出版)。
わくわくしながら書いたことを今でも覚えています^^
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さて、今、当方が大学教員になり、思うことの1つは…「『情報』、楽しい?わくわくしてる?」

残念ながら、最近、『情報』を楽しんでいる学生が減ってきているような気がします。それはもしかすると『情報』だけではなく、すべてにおいてなのかもしれませんが、「やらないといけないから」「課題だから」という思いが前面に出てしまっているように思います。

「情報リテラシー」=「コンピュータの活用」=「文書作成、表計算、プレゼン資料の作成」=「情報処理演習の時間」というような考えも少なからず広まっているのも一因なのでしょう。確かに、いわゆるアプリケーションを利用し、今までできなかったことができるようになる、例えば、手計算していたものを一気にできるようになる喜びなどは授業の中でもみることはあります。しかし、「情報リテラシーは教えなくていい」などの狭い文脈で使われているのも確かです………。

でも、もっと何か「わー!」「すげー!」「ほかにもなんかできることないかな?」「ちょっといろいろやってみよう!」というわくわく感を感じさせたい。みんなのバトルフィールドは、目の前の課題だけじゃないよ?ドラゴンクエスト風に言えば、もっと他人の家のツボを壊して、タンスを開けていこうよ、的な…(笑)

確かに、技術はあっという間に進み、それに関する情報も広まるのが早く、何か新しいことを見つけたり、(少なくとも身近に)誰も考えていないようなことを考える時間がなくなったりしていることも事実です。また、(少なくとも弊学の)学生の(多く)は、さまざまな授業の課題に追われているのも事実です。(課題を無くせばいいのでは…という議論については、ここではあえて触れません。それは文部科学省の示す「単位」という考え方が………)

かくいう当方も、自分自身が「わくわく」するために、日々新しいことを得ようとしています。こんなことできれば楽しい!こんなことできれば、困りごとが解決するかもしれない!昔は、それが「映像」だったのですが、それが「情報」に変わっただけ。そして、「情報」だからできることは何なのか?そんなことを日々考えています。そういう意味ではうん十年まえのM先生の教えが今もマインドとして残っています。

今の私が「情報」の世界の中で、どう「わくわく」しているのかは、下記リンクをご覧ください。
卒業したから見えてくるもの~卒業生らと奈良養護学校訪問
子どもたちの発想、アイディア、創造性を発揮させるプログラミング教育~Ozobotで親子プログラミングイベント~

そして、この「わくわく」をどのように次世代に繋げていくのか、当方の「わくわく」を日々の授業の中に盛り込み、そして「わくわく」しながら、学校現場と頑張っている姿を見せていくしかないのでしょう^^